こんにちは。
このブログを書いている元二浪の わわ です。
前回は、
二浪に失敗した男が振り返る、現役時代の受験当日 [私立大学編①]
について書きました。
併願校だった駒澤大学と、
第一志望だった青山学院大学(全学部日程)の受験当日のことを書いています。
受験当日の緊張感や、
試験後の自己採点までのリアルな話をしているので、
まだ読んでいない方はぜひ読んでみてください。
今回は、
「二浪に失敗した男が振り返る、現役時代の受験当日 [私立大学編②] 」
ということで、前回の続きになります。
法政大学(社会学部)と青山学院大学(経済学部)
の受験当日のリアルについて書いていこうと思います。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
第3戦 2/9:法政大学(社会学部)
まずは法政大学(社会学部)の受験当日のことから書いていこうと思います。
この時の僕は、
2日前の2/7の青学全学部の自己採点の結果をかなり引きずってしまっていたと思います。
英語も国語も政経も思ったよりも点が取れておらず、
正直、かなり落ち込んでいたと思います。
でも入試は待ってくれません。
2日後には法政大学社会学部の入試があったので、
気持ちを切り替えるしかありませんでした。
そして迎えた法政大学入試当日の朝。
不思議と、緊張していませんでした。
入試3戦目ということもあり、
入試に慣れてきていたからかもしれません。
前回と同じように、
コンビニで買ったおにぎりを2つ食べ、準備をして、
余裕を持って家を出ました。
会場は法政大学の小金井キャンパスでした。
自宅からは少し遠く、
電車でかなり時間がかかった気がします。
最寄り駅に着き、会場まで歩いて行きました。
まだ時間が早かったのか、
周りに受験生らしき人がいなかったのを覚えています。
そのせいで、
「あれ、会場合ってるよな?」
と不安になって調べてみましたが、
ちゃんと合っていました。笑
会場に着くと、受験生がたくさんいました。
リュックから受験票を取り出し、中に入りました。
自分の受験番号を確認しながら、
教室へ向かいました。
大きい教室もいくつかありましたが、
僕の試験会場は、かなり小さめだったと思います。
自分の席につき、荷物を置きました。
そして、毎度のことながらトイレに行きました。
ただ、
うんちが出たかどうかは覚えていません。すみません。
正直、
ここから先のことはあまり覚えていません。
国語の試験時間が短すぎて最後まで解き切ることができなかったことと、
政治・経済の問題が難しかったことだけは覚えています。
そして、すべての試験が終わりました。
手応えとしては、あまり良くなかったと思います。
国語を最後まで解ききれず、
政経も個人的には難しいと感じたため、
不安が残りました。
帰りのことも、
家に帰ってからのことも、
ほとんど覚えていません。
それくらい印象に残らない1日でした。
当時の僕にとっては、
どの大学よりも青学の方が大きい存在だったんだと思います。
第4戦 2/12:法政大学(社会学部)
僕は、法政大学社会学部を2回受験しました。
たしか、9日に受けたものとは別の学科だったと思います。
ただ、
この日のこともほとんど印象に残っていません。
覚えていることは、
手応えが良くなかったことくらいです。
最終戦 2/19:青山学院大学(経済学部個別日程)
法政大学を受験したときの印象が薄いのは、
2/19の青学経済学部の印象が強すぎるからだと思います。
結論から言うと、
僕はこの入試をまともに受けることができませんでした。
前日にコロナになってしまったからです。
当時の話を、
2/12の法政大学の入試が終わったあとまで遡って話したいと思います。
僕は法政大学の入試を終えたあと、
一度実家に帰りました。
受験会場の近くのコンビニまでお母さんとお姉ちゃんが車で迎えに来てくれたので、
そのまま車で実家へ向かいました。
次の受験だった青学経済学部の入試までは、
1週間空いていました。
実家では久しぶりに家族とゆっくり過ごしました。
勉強もしながら、
青学経済学部の入試に向けて最後の調整をしていました。
過去問を解いたり、
苦手だった部分を復習したりしながら毎日を過ごしていました。
「今度こそ受かる!!」
そんな強い気持ちで勉強していたと思います。
入試は19日だったので、
18日の午後には東京に戻る予定でした。
しかし、
17日にお母さんのコロナ陽性が判明しました。
職場でもらってきてしまったそうです。
このまま実家にいるのはまずいということになり、
急遽、東京に戻ることになりました。
当時は、
「濃厚接触はしていたけど、自分は大丈夫かもしれない」
と思っていました。
というよりも、そう願うことしかできませんでした。
実際、その時点では特に体調の異変もありませんでした。
そして18日になり、
東京で翌日の入試に向けて準備をしていました。
午前中は体調に変化もなく、
普通に過ごしていました。
ところが、
午後から、
頭がぼーっとしたり、体がだるくなったりと、異変が出始めました。
この時点で、
「もしかして…」
と思い始めていました。
それでも、
このときはまだ熱はなかったので、勉強を続けていました。
しかし、
夜になるにつれて体調はさらに悪くなっていきました。
熱っぽさを感じたので体温を測ってみると、
発熱していました。
このとき、
「人生終わった」
と思いました。
本気でそう思いました。
悔しさや絶望感で頭がいっぱいになり、
部屋の色んなものを投げた記憶があります。
第一志望の入試の前日に発熱するなんて、
悔しくて仕方ありませんでした。
どこにもぶつけられないこの気持ちを、
物に当てることしかできませんでした。
勉強を始めてからずっと、青学を夢見て毎日頑張ってきました。
その夢が叶わないとなると、
「ここまで頑張ってきた意味は何だったんだろう」
と考えてしまいました。
今振り返ると極端な考え方だったと思いますが、
当時の僕は本気でそう感じていました。
熱が出てきたことをお母さんにLINEで伝えたあと、
すぐにお母さんから電話がかかってきました。
お母さんは、
自分のせいで移してしまったと思っていたようで、
泣いていた気がします。
電話でどんな会話をしたかはあまり記憶がありませんが、
たぶん、僕はお母さんに感情をぶつけてしまったと思います。
このときの僕は自分のことで精一杯でしたが、
今思うと、
お母さんもかなり辛かったと思います。
それでも、
お母さんはわざわざ東京まで駆けつけてくれました。
ご飯や薬を届けてくれたのを覚えています。
コンビニで買ってきてくれたおにぎりも入っていた気がします。
ただ、
何味かはわかりません。覚えてないです。
そのあと、
お母さんと翌日の受験について話しました。
詳しい内容は覚えていませんが、
とりあえず薬を飲んで早めに寝ることにしました。
そして次の日の朝、
お母さんからLINEが来ました。
お母さん 「具合どうですかー??」
僕 「受けるのは無理そうかも」
お母さん 「そうだよね。熱ありそうかな?」
僕 「熱は下がってるっぽい」
熱は下がっていました。
でも、体調は全く良くありませんでした。
まともに受験を受けられるような体調ではなかったと思います。
それでも、
ここまでずっと頑張ってきたことを考えると、
受験をしないという選択はとれませんでした。
どんな結果になっても、
最後までやり切りたいと思いました。
そして僕は、
青学経済学部の受験会場へ向かうことを決めました。
当時のお母さんとのLINEの会話を見返すと、
会場へ向かう途中、お母さんからこんなメッセージが来ていました。
「今日は一度は受験を諦めた状態から、
よくここまで頑張りました。
だからできなくてもいいんだからね。
とりあえず今までの集大成を経験できるだけで良かったって思っています。
無理しないように💦
ここまできたら最後まで踏ん張れますように!!!
祈ってるよ」
今このLINEを見返しながら、この文章を書いているのですが、
正直、少し泣きそうになりました。
そんなLINEを見ながら、
会場へ向かいました。
そして、
青山学院大学に到着しました。
到着してから、すべての教科を受け終わるまでの記憶がほとんどありません。
体調が悪くて、全く英語が解けなかったのは覚えています。
どんな問題だったかなんて1ミリも覚えていません。
もちろん、
手応えなんてありませんでした。
それでも、
「最後まで受け切ることができてよかった」
と思っていた気がします。
こうして、
僕の現役時代の受験は終わりました。
合格発表
結局、
第一志望だった青山学院大学は、
全学部日程も経済学部個別日程も不合格でした。
悔しくて仕方ありませんでした。
今でも、
悔しい気持ちはずっと残っています。
それでも、
最後まで受験し切れたことはよかったと思っています。
そして、
第二志望だった法政大学も不合格でした。
最終的には、
併願校として受験していた駒澤大学GMS学部に合格をいただいていたので、
進学することを決めました。
現役時代の受験の話は、
ひとまずここまでです。
現役のころを思い出しながら書きましたが、
書いているうちに当時の感情までよみがえってきました。
長くなってしまいましたが、
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回も読んでいただけると嬉しいです!

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